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天声人語&世説新語

TRONとWINDOWS

 昨今、パソコンのOSと言えばWINDOWSで、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツの名も知らない人がいないぐらいの時代になっていますが、今から遡って38年、ちょうど20世紀の80年代、1984年に画期的なOSを開発した日本人がいました。東京大学教授(当時は助手)、コンピューターエンジニアの坂村健でした。

 1981年IBM社が家庭用パソコン「IBM5150」を発売しました。マイクロソフト社のOS、MS-DOSが搭載されていますが、コンピューターそのものが重いのがまだいいのですが、MS-DOSは英語の専門用語や長いコードを打ち込んで使う必要があり、日常の業務で使うのは手間がかかり過ぎで、サラリーマンに敬遠されていました。それを見て、坂村健が簡単に操作できるOSの開発を始めました。

 1984年、坂村健は組み込み仕様のコンピューターOS「TRON」(トロン)を学会発表しました。仕様書が無料公開されているため、NEC、富士通、松下など140を超える日本中の家電メーカーが坂村健の元に集結し「B-TRON」という開発プロジェクトが始まります。1987年、2年半をかけてトロンの試作機が完成しました。ワンタッチでウインドが開き、性能も安定していますし、漢字にも対応ができます。今のパソコンに近い機能が実現した画期的なものでした。なにより無償ということは日本のみならず、世界中のコンピューターの普及に大きく寄与することになるでしょう。後に評判それほど良くないWINDOWS1の発表よりも1年以上先になっていました。

 いよいよ通産省も日本中の小中学校の導入を決め、日本開発のコンピューターの普及に進め始めた1989年、米国はマイクロソフト社のMS-DOSが日本の教育市場に参入できないことを恐れ、突然アメリカが悪名の高いスーパー301条(巨大な貿易赤字の解消に米国企業の競争力を妨げる不公正な商品の是非を求め、従わない場合は制裁を行うという一方的な条例)を発表しました。米国からの尋常でない圧力に屈した形になりますが、日本政府は、教育現場へのトロン導入を断念せざるを得ませんでした。大手家電メーカーも開発プロジェクトから次々と撤退を表明しました。1990年、トロン開発はその勢いを失いました。そして1995年、WINDOWS95が日本のパソコン市場を風靡するようになります。

 ちなみに現時点で検証はできませんが、1985年8月、日航ジャンボ機(JAL123便)の墜落事故について、プラザ合意に反対していた関西の財界大物4人と「B-TRON」ポロジェクトの中心的な技術メンバー17人(松下社)が搭乗していました。大きな声をあげられませんが、当時の目撃情報では戦闘機2機が後ろを追ってきたと、事故捜索や救出を参加した自衛隊員が後に複数自殺しましたそうです。本当は「事故」ではなく、米国がコンピューターやITによる世界の支配を実現するため、起こした「事件」ではないかと噂されています。あくまでも噂に過ぎないのですが、「TRON」主導のパソコン普及を抑えた後に、IBM、インテル、アップル、マイクロソフトなどのアメリカ企業の躍進が目覚ましく、インターネットの構築やネットインフラ整備、所謂IT事業の革新を米国主導で行ってきました。世界中の情報が米国にあるサーバーに集まり、真の米国治下の天下になりつつあります。

 恐ろしいのですが、前アメリカ国務長官ポンぺオが2019年テキサス州農工大学で「私は嘗てCIAの情報局長に努めていた。我々は嘘つき、詐欺、窃盗。それについて、我々は専門の科目で教えているし、これは米国が探索し続ける栄光でもある。」と演説しました。これを踏まえて、「米民主主義」帝国の習性を考え、本質を迫っていくと・・・。

 その「事故」について、興味のある方は関連情報を調べればと思います。

 

 

株式会社中和 ラッキー プリント 社員一同

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