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2022年11月

覇者の交替・・・その五

 屈辱的な返済条件で、イギリスが米国の条件緩和を求めるしかありません。経済学の泰斗ジョン・メイナード・ケインズが渡米をし、4ヵ月かけて米国との間に「米英金融協定」(「米英借款協定」とも呼ばれる)を締結しました。ポンドは他の外貨との自由交換、米国の主導下において国際貿易組織の設立、イギリス勢力範囲内の帝国特別税率を引き下げる、無条件で米ドルを世界基軸通貨としての「ブレトン・ウッズ体制」を受け入れるなどなど、戦後不景気に陥ったイギリスに50年間2%の低金利融資でイギリスの財政を援助する代わりに、米国がイギリス権益を弱体化させることに成功しました。また、米国の支援でパキスタンを含むイギリス領インド帝国の独立も加速させました。イギリス勢力が撤退したギリシャでの役割も米国が担うことになります。

 協定を1945年末に結んだのですが、国会の承認などを理由に肝心の金融支援は7ヵ月後に始めるので、低金利融資も1950年からと約束をしたため、「今晩の飯」と喫緊の経済課題にイギリスは大英帝国領のカナダに借金を依頼することになりました。宗主国に逆らえませんが、自国の財政も苦しいので、カナダもアメリカの助けを求めました。絶好のチャンスに捉えた米国がカナダの権益の献上も迫りました。

 米英両国間の金融協定だけだと錯覚を起こしやすのですが、「金融・通商」を一括で米国の思惑通りで、戦前のイギリス主導から戦後秩序のアメリカ主導に切り替えました。いわゆる「太陽の沈まない」イギリス帝国からアメリカ帝国へと移っていきます。

 

 

株式会社中和 ラッキー プリント 社員一同

覇者の交替・・・その四

 第二次世界大戦が終了し、米英共通の敵を倒した後、戦後再建や新国際秩序の構築に巡り、既成の覇者イギリスは新覇者のアメリカと水面下で激しい攻防戦を繰り広げられていることは恐らく知らない人が多いです。

 戦後の構図は東西冷戦と歴史教科書に書いていますが、米国の覇権を阻止するため、「敵の敵は味方」でイギリスは米国の優勢を弱めるべき、1946年末、イギリスとソビエト連邦とロールス・ロイス社のターボ・ジェットエンジン(ダーウェントエンジンDerwent)など20台の最先端航空エンジンを提供する契約を交わしましたうえ、丁寧な技術指導まで行ったそうです。後にジェットエンジンの技術に遅れたソ連が、模倣製品を経って、BK1という強力なエンジンの開発に成功し、一代の名機ミグ15戦闘機に搭載され、朝鮮戦争の上空でアメリカのF86と戦力に劣らず、戦ったのです。

 ではなぜイギリスは米国の国益を無視するまで、先端軍事技術をソ連に渡したのでしょうか。

 1945年7月にベルリン郊外の小さいな町、ポツダムでイギリス、アメリカ、ソビエト連邦の首脳会議が行われ、「ポツダム宣言」を出したのは周知の通りだと思いますが、実に会議の中、戦後の欧州における勢力範囲の再分割を反対するとアメリカは東ヨーロッパやバルカン半島のソ連支配を黙認しました。イギリスの顰蹙を買うことになります。更に1945年8月にアメリカは一方的に連合国の戦争支援のため作った法律「レンドリース法」に基づいて、イギリスへの物質提供を停止すると発表しました。新たな物質を必要な場合、現金で、戦時中すでに獲得した物質も等価を支払うようにと明言しました。イギリスに提供した航空母艦も艦載機も即返さなければならないと通告しました。

 国民総動員で戦争に力が尽きたイギリスは外貨も金貨も少なく、物質も米国依存になっていたのに、アメリカもこれらの状況を把握したうえ追い打ちをかけるように要求しました。過去の覇者を更に窮地に追い込みます。

 

 

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覇者の交替・・・その三

 ヨーロッパで列強の争いや列強たちがアメリカ大陸における植民地利権の争い、ラテンアメリカの独立運動などに傍観をしているのがアメリカ合衆国でした。1823年、米国は南北アメリカは将来ヨーロッパ諸国に植民地化されず、主権国家として欧州の干渉を受けるべきではないと宣言をしました。いわゆる「モンロー主義」の実践を始めました。その背景に米国が独立を果たした後、その北アメリカにおける縄張り固めが必要で、「先住民の掃討」やアラスカ(当時ロシア領土)から虎視眈々のロシアからの南下を防がなければならないからです。

 ヨーロッパのアングル・サクソン人の支配から独立したアメリカのアングル・サクソン人が、「喧嘩と干渉をやめろ」と自国の利益至上を主張し、「孤立主義」とも言われています。20世紀の初頭の第一次世界大戦まで、米国が工業化も果たし、イギリスの国力にも上回っていました。

 1939年第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツが戦車軍団の電撃戦で西ヨーロッパや北アフリカに席巻し、孤独なイギリスがドイツ勢力との戦いで不利な戦況の中、親戚同士のアメリカに参戦を求めましたが、イギリスが戦争を続けるための戦費を米国から膨大な借金をし、その借金で米国製の武器、弾薬、戦闘機を買ってドイツに挑んでいました。その点については今日のウクライナも同様です。

 しかしながら、日本の真珠湾奇襲するまで米国の参戦はありませんでした。「モンロー主義」による孤立主義の徹底ぶりが伺えます。

 余談ですが、2016年アメリカ合衆国大統領選に当選したドナルド・トランプさんも見事に「アメリカンファスト」と提唱をし、公然と「モンロー主義」の旗を掲げました。

 

 

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覇者の交替・・・その二

  ほぼ同時代にルネサンスによる知識・技術の獲得につれ、フランスやイギリスも台頭してきました。特に宗教革命を行ったイギリスが急速に力を付けていて、最初の覇者スペインからオランダ独立戦争を援助し、1588年にスペインの無敵艦隊を破って、結果的にオランダの独立を側面から実現させました。

 通商国家としてのイギリスが宿敵のスペインの弱体化を果たすため、オランダの独立を助成した形になりましたが。後に独立したオランダがオランダ東インド会社を設立し、南北アメリカ、東南アジア、日本などに海外進出を加速し、中継貿易で莫大な利益を得ました。そのため、イギリスとの利害が対立するようになり、友好国にも関わらず、皮肉にも覇権をめぐって「英蘭戦争」に突入しました。その結果、フランスとの連携でイギリスが勝利し、オランダの海上優位を奪いました。

 最狭部僅か34キロしかないドーバー海峡を隔ているイギリスとフランスは因縁の相手としても、第一次100年戦争、第二次100年戦争と戦いを繰り返してきました。特に17世紀末にヨーロッパにおける利害対立や両国の海外植民地における勢力拡大の争いで戦争が続きました。

 長引く戦火で戦費の捻出に増税策を企てたところ、イギリス植民地でアメリカ独立戦争が勃発し、フランス本国で革命が起こりました。後の米国の覇権を許した根を埋め、大きな代償を払いながらも、1815年に「ワーテルローの戦い」で辛うじてナポレオンに勝ってイギリスが覇権を維持します。

 

 

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覇者の交替・・・その一

 「百獣の王」と知られるライオンは草原の捕食者の頂点となっているのですが、主に家族や親戚グループで暮らしています。群れを守る成年の雄ライオンと流浪のオスライオンとの間に縄張りに巡ってしばしば争っています。

 群れのオスリーダーは戦いに勝てば、所属のメスたちも子供も安泰ですが、侵入者に力負けてしまうと、雄ライオンの命が絶つことになるだけではなく、群れのメスも新オスライオンの妻になり、その妻らの発情を促すために前の覇者の子供を殺すか追い出すかそうです。そのせいでオスライオンの平気寿命は10歳も満たないです。

 ライオンの群れが旧覇者と新覇者との交替劇は今も絶えずにアフリカの大地で繰り広げられています。では地球規模で人間社会を見渡す場合は、歴代の覇権交替を振り返ると意外にも動物たちに似っていることに気付くかもしれません。

 イスラム勢力のオスマン帝国が貿易拠点を抑えているため、地中海貿易の恩恵を受けられてないポルトガル、スペインが新たな拠点を探そうと15世紀の後半から、大航海時代を始めました。アフリカやアジア、アメリカなどいろいろな大陸がヨーロッパ目線で発見され、「早い者勝ち」で鉄砲の至る所に新たな領土を獲得し、海外進出による莫大な利益を手にしました。両者とも強固なカトリック教国なので、その後ろ盾はローマ教皇です。「侵略」した領地に宣教師による布教活動、言い換えれば「価値観の輸出」を意図的に広げました。今風で言うと支配地域の原住民や移民に「マインドコントロール」を行ったことになります。

 

 

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