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2022年3月

キューパ危機とウクライナ危機・・・その三

 1999年3月、第一次チェチェン紛争の影響もあって、内外の難局に直面しているエリツィン大統領は、NATOの第一波東方拡大をやむを得ず許しました。ポーランド、チェッコとハンガリーの三カ国でした。エリツィンはすぐさまNATOに対して、ロシアの国家安全への脅威と強く抗議をしました。バルト海と紅海一帯を超えてはならないとレットラインもNATOに敷きましたが、国内のチェチェンさえ押さえられないロシアがもはや西側に対抗する術も力もありませんでした。 

 そこでウラジーミル・ウラジ―ミロヴィチ・プーチンが頭角を現します。エリツィンは西側諸国に失望をし、精神的に追い込まれました。休養中、昔の部下にサンクトベテルブルクの狩猟宴会に招かれました。本物の黒熊が急に現れた際、遅刻してきたプーチンが、猟銃を手にし、とっさの反応で熊を打って、同席の官僚や将軍を救ったという逸話を聞いたことがあります。あれからエリツィンがプーチンを抜擢し、最高の国家権利を象徴する「核のボタン」まで渡しました。

 巨人政治家の誕生は強いロシアを望む国民にとっては歓迎すべきことですが、依然として経済や金融がひどい状況に直面しています。プーチン政権下のロシアになりますが、2002年11月21日、NATOは第2波の東方拡大を発表しました。明らかにエリツィン時代のレットラインを超え、一気にバルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアを含み、スロバキア、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア計7カ国を加盟させました。NATOのメンバーは26カ国に上りました。

 NATOの拡大はロシアの安全保障にとって、何を意味するのかプーチンが分からない訳がありません。NATOの東方拡大は伝統的な勢力圏から追い出し、ロシアの再起を防ぐ目的は非常に明白です。中・東ヨーロッパは歴史上において、西ヨーロッパ諸国とロシアとの間に争奪する地域で、どちらにとっても大事な戦略的な意義を持つエリアです。

 

 

株式会社中和 ラッキー プリント 社員一同

キューパ危機とウクライナ危機・・・その二

 1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦の対峙陣営の片方、ワルシャワ条約機構(WPO)も後に解体しましたが、共通の敵がいなくなったNATO(北大西洋条約機構)もまもなく解体するであろうと予想した専門家が少なからずいました。解体するどころか、段階的に中・東欧やバルカン諸国など旧ワルシャワ条約の国々まで、取り込んで加盟させました。NATOも16カ国から東、東へと30カ国に拡大してきました。いわゆるNATOの東方拡大です。

 NATOは冷戦中、旧ソ連の勢力圏から身を守るための軍事同盟であり、敵の脅威が消えるにつれ、消滅するのが極自然のことだと思います。東西ドイツの統一がNATOにとって、最優先事項であったため、ソ連に譲歩しても、ドイツの統一を達成したかったので、NATOは東方拡大をしないという約束をゴルバチョフ氏と交わしたと考えられます。

 米国の元駐ソビエト連邦大使ジャック・F・マットロック・ジュニア(Jack Matlock)が「正式な条約ではないが、ブッシュ大統領が1990年に統一ドイツ(まだワルシャワ条約機構に属する東ドイツを含む)をNATOに留まることを許してもらえば、、NATOの管轄権は東に移動しない、1インチもしないとゴルバチョフに保証した」と証言をしました。統一ドイツが誕生してからも、しばらくNATOは東方拡大に積極的にしなかったのも、その約束があったとみていいと思います。

 しかし、親米のエリツィン大統領はアメリカ経済学者ジェフリー・サックス(「貧困の終焉」の作者)の指導を受け、エゴール・ガイダル首相が推し進める「ショック療法」がロシアの経済を2年間で破綻させてしまったせいで、西側諸国が約束した外債免除も資金提供も水の泡になりました。民主主義・自由主義に憧れているエリツィン大統領は、西側に手を貸してまで、ソ連を崩壊させて、自分もロシアも西側の一員として受け入れられるのが当然だと思い込みましたのに、考えは甘かった。

 そもそもソ連やロシアを無力させたいのがアメリカで、ロシアを西側の国として、DNAレベルでは不可能だと後にロシア人が分かったのですが、まず自分の地位・覇権を脅かす可能性のあるものを米国にとっては潰さなければならない存在ですし、西方教会のカトリックと東方教会の相違ももう一つ決定的な理由になると思います。

 

 

株式会社中和 ラッキー プリント 社員一同

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