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天声人語&世説新語

キューパ危機とウクライナ危機・・・その九

 時のソ連第一書記フルシチョフはそれを脅威と看做し、米国への反撃を企てていました。ちょうどキューバ―革命で社会主義政権を樹立したフィデル・カストロは、米国の顰蹙を買い、米国との対立が続き、安全保障上の理由もあって、ソ連と急接近しました。大陸間ミサイルが開発される前の時代ですので、米国にもミサイルの脅威を味わわせるため、キューバ配備はもっとも効果を発揮できるとフルシチョフが考えました。キューバにとっても米国からの侵攻を食い止めるため、ミサイルが必要と感じています。そこでソ連とキューバの利益が合致しました。

 キューバのミサイル基地が発覚された後、更なるミサイルの搬入を阻止するため、アメリカがキューバをソ連から隔離し、海上封鎖を敢行しました。一触即発の事態で、人類に二大核大国の核戦争にもっとも近い13日間と言われています。ミサイルの撤去を巡って、時のケネディ米大統領とフルシチョフ書記との間にホットラインが設置され、書簡によるやり取りも行いました。交渉の結果、アメリカがキューバの武力侵攻をしないという前提で、ソ連もミサイルを撤去しました。書面上の約束を交わしているわけではないですが、ソ連がキューバから攻撃ミサイルを撤去した後、米国も密かにイタリアとトルコに配備したミサイルを撤去しました。

 今から「キューバ危機」を振り返ると、映画化にもされ、人類の滅亡から救う物語のように讃えられていますが、大国と大国との間に挟まれる小国の命運も興味深いものがあります。危機回避後、もっとも怒っているのはキューバ第一書記カストロです。米国の海上封鎖は「主権侵害」と主張しても、無視されましたし、「キューバ防衛」という名目でミサイルの設置を持ちかけられましたが、米国の固い意志に屈服したソ連によって、なんの相談もなくそれを撤去させられました。そこに大国間の政治に踊らされた小国、大国に自律的か強制的に従わざるをえないという国際政治の現実があります。60年後の今日、小国の宿命は変わったのでしょうか。答えはもちろんNOです。

 しかし「キューバ危機」は一時的にケネディも空爆の実施を考えましたが、結局、熱戦になりませんでした。

 

 

株式会社中和 ラッキー プリント 社員一同

 

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