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救済型インフレ その三

 米国発の悪性インフレが巻き返してくるのかどうかは、重要な問題で、アメリカドルは世界の基軸通貨だからです。世界の金融政策に根本的な調整を迫っているかもしれません。現行の世界金融枠組の中、米国が到来する悪性インフレに早くも警戒し、国債の過度の発行をやめれば、世界経済に大きな打撃を避けられますが、もしアメリカが悪性インフレに毅然に対処し、耐えるように頑張ると、多くの国々、特に発展途上国が、同時通貨安、物価高に直面し、世界的な問題になるのを容易に想像ができます。

 では、アメリカの70年代の悪性インフレにどう対応してきたのかを回顧してみましょう。もちろん、20世紀の70年代と2020年代と諸条件が違いますが、参考にはなると思います。

 アメリカが60年間のインフレ率の推移を分析すると、インフレ率5%超になる期間は1973~1982年、この10年だけです。当初1970年前後、インフレ率も5%のレットラインを超え、すぐさま抑えられました。それも「一時的な現象」と政府が発表した根拠でした。しかし、それはただ後の10%を超えるインフレ率の「前触れ」に過ぎないと政府も予見できませんでした。

 1970年代、アメリカにとっても、世界にとってもいくつか大事なことが起こりました。

1、冷戦と熱戦

 第2次世界大戦後、アメリカ主導の世界秩序を確立され、ヨーロッパーや日本も戦後再建に専念し、アメリカは当時の「世界工場」として、多くの注文を受けました。国内経済も人々も潤って、豊かの象徴でした。良きアメリカの時代は60年代まで続きました。70年代に差し掛かったところ、戦後再建の金利が終わり、アメリカにおいて、金稼ぎは難しくなりました。それどころか、冷戦やベトナム戦争へ出費も重ねて、政府の財政に赤字が続いていました。

2、金・ドル本位制の崩壊

 第2次世界大戦後、アメリカ主導で、為替相場や国際貿易を安定するための「ブレトンウッズ体制」を確立され、金を国際決済の手段とする金本位に戻りますが、戦前との違いは、金を直接に決済に使うのではなく、各国の通貨と米ドルの交換比率を固定し、ドルだけが金と交換比率を固定することで、実質に各国間の決済を米ドルで行われることになっています。いわゆる「金・ドル本位制」です。理論上では、米政府がドル価値の安定に努めなければなりませんが、5%インフレ率に上げると、米国が金本位を離脱し、ドルを発行し過ぎたことを意味します。時のフランス大統領ド・コールが、ドル価値の低下を看過できず、所有する米ドルを金と交換しようと米国に要求しました。アメリカは世界的に金融取付騒ぎを警戒し、1971年に自ら米ドルを金本位から離脱しました。「ブレトンウッズ体制」が崩壊し、米ドルが大幅安になりました。

3、石油危機

 「泣き面にハチ」で、1973年イスラエルと中東国家との間に、第4次中東戦争が勃発し、中東産油国機構(OAPEC)が石油減産・禁輸を行いました。石油輸出機構(OPEC)は原油を一挙に3ドルから4倍の12ドルに引き上げました。1979年のイラン革命を契機に第2次石油危機も起こりました。1バレル13ドルから32ドルに高騰しました。基幹産業を石油に依存している日本をはじめ、世界各国は甚大な経済打撃を受けました。

 以上の三点は1970年代にアメリカの悪性インフレを引き起こした理由になりますが、直接の金融政策よりも、経済発展の段階で戦略的にやられた部分も否定できないだろうと思います。

 

 

株式会社中和 ラッキー プリント 社員一同

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